「自分軸」を見つめることの大切さ、について扱った前2回のブログを読んでいただいた方は、
「価値観」は「自分軸」とは違うのか?
と思われた方もいらっしゃると思います。
正直言って、言葉の定義って微妙なところがあります。
他の方の表現とは多少ニュアンスが違っているところもあるかもしれません。
そこに今回は注目し、私なりにこの両者の捉え方を説明してみたいと思います。
(長いです)
突然ですが、
あなたは今、「雪山でスキーをしている」とイメージしてみてください。
スキーはできないし行ったこともない、という方も想像でOKです。
自分がアルベルト・トンバになった気分でどうぞ。(←例えが古すぎ)
リフトで頂上まで行き、雪山からの景色を眺めています。
どのコースが気持ちよく滑れそうかを見定め、右に左にターンを切りながら優雅に滑っていくあなた。
もしかしたら、調子がよくてコブを果敢に攻めるかもしれません。
初心者であれば、ボーゲンで大きくターンを切ってゆっくりと滑っていくでしょう。
新雪の上を風を切りながら気持ちよさそうに。
・・・・・・
コースを滑り終えてきたら、ちょっと斜面を振り返ってみてください。
滑り方によってもちろん幅はありますが、左右に曲線を描き、時にコースを変えながら滑り降りてきた跡が見えるはずです。
ところで、
あなたはどうして一直線に直滑降で滑り降りてこなかったのでしょうか?
あたりまえですよね。
そんな滑り方は危険だし、第一楽しくありません。
(中にはそうゆう滑りを楽しめる方もいるかもしれませんが・・・)
滑ってきたスキー跡は、あなたの「スキーにおける個性」とはいえないでしょうか。
どんなコースを選び、どんな曲線を描き、どんなスピードで滑ってきたか、
振り返るとよく分かるんじゃないでしょうか。
「あそこで転んだなぁ」
「けっこう上の方で休憩したんだ」
といったこともきっと分かりますよね。
閑話休題。
ここで話を本題と絡めます。(←ちょっと強引)
私が思う「価値観」とは、この新雪にできたスキー跡です。
決して一直線ではありません。
右に左にぶれています。
斜面の状態、自分の調子、他のスキーヤーとの距離感などを瞬時に判断し、ターンを切って滑ります。
余裕があれば、雪山の景色を堪能しながら。
「価値観」も同様に、その時その状況によって揺さぶられ、衝撃的な出来事や印象的な出会いによって変化したりします。
変化の度合いは人それぞれですが、それが人としての成長につながっているような気がします。
この時「価値観」を揺るがしているものってなんでしょうか?
それは「感情」です。
その場その時に湧き起こる様々な「感情」を自分の中で意識的及び無意識的に瞬時に判断し、人生のターンを切ります。
それは小さなターンかもしれませんし、大きなターンなのかもしれません。
そうです。
「価値観」とは時間と共に、或いは場面によって「ある程度」ぶれたり変化するものなのです。
ただしここで重要なのは、ぶれや変化といったものも、ある幅の中に納まっているということ。
もう一度話をスキーに戻しますが、
あなたがスキーをしている様子を少し俯瞰で眺めてみてください。
どんなに大きなカーブを切って滑っていても、コースの幅の中での話です。
大きく見れば、山裾に向かって滑っている点では方向性も変化ありません。
更に大きな視点で捉えると、
なぜ、あなたはスキーをしているのかと問うた場合、
「雪山で自然の美しさを堪能しながらこの季節にしかできないことを楽しみたいから」
となるのではないでしょうか?
何本滑っても、滑り方を変えたとしても、はたまた途中でスノボにチェンジしたとしても、その目的は変わっていないはずです。
ランチタイムに混雑する人込みを避けながらメニューを選んで、ごく普通のカレーライスが美味しいと感じるのも、帰りの大渋滞に巻き込まれて「まぁしょうがないか」と諦められるのも、その目的を持っているから、と言えそうです。
スキーにおけるこの
「雪山で自然の美しさを堪能しながらこの季節にしかできないことを楽しみたいから」
にあたる「変化のない目的」というのが、「自分軸」にあたります。
「自分軸」は相当なアクシデントでもない限り、簡単にはぶれません。
この「自分軸」に気付けるかどうか・・・
自分がこれから住む家と、長く良い付き合いを始めるにあたっては、これがいちばん重要になるのです。
いかがでしょうか。
「価値観」と「自分軸」のニュアンスの違いを感じていただけたでしょうか。
では、次回もお楽しみに!